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| 「禅味」平成14年10月号 掲載 |
小川哲男
8月大摂心会に2日間だけですが参加しました。
坐禅がまったく初めての私にとってはそれは驚きの連続でした。
非日常性
はじめての私にとって全てのことが「非日常」でした。
起床から就寝までのタイムテーブル、食事の作法や内容、そして何より「坐る」こと。
考えてみても日常の生活で「坐る」ことは皆無、せいぜい「坐る」のは法事のときくらいです。あとはみんな「腰掛け」ています。
でも考えてみれば、かっては日の出とともの起きるというのは自然の摂理であった。
また地面に坐ることも、腰をしっかり伸ばすことも人間の姿勢として極めて自然であった。
それが現代生活では「非日常」になってしまっているということは、考えようによっては
大変恐ろしいことではないかと思いました。 普遍性
今回初めてということで役位の方から、歩き方、礼の仕方、食事の作法などいろいろ教えていただきましたが、実際にやっていてすべてのことが非常に普遍的に繋がっている、と感じました。そういう普遍の軸に自分を置いてみると「無常」ということが少しわかってくるのかもしれません。
美食ブームが終わったかと思うと、今度はダイエット、ファーストフードからスローフード、そういういわゆる流行に軸をおくと、自分がいなくなってしまうことになりかねないですね。私は自動車会社で商品を企画する仕事をしておりますので、世の中の流行を掴むことは非常に重要ですが、表面だけを追いかけるのではなく、本質は何なのかをしっかり考えることをしないといけないなと思いました。
オープンそしてフェアー
これが今回私が一番感じたことです。
何の紹介もない未経験者に対し、何の隔てもなく、オープンに迎えてくださったこと、また満足に坐れない私も、ベテランの熟練された方も一旦坐れば仏様と対峙するという点で
まったく対等であること、ずっとお続けになられている方にとってはそんな意識はないかもしれないのですが、私にはこんなに潔い、すっきりしたマネージメントにたいへん感銘しました。
一見厳しく近寄り難いイメージの禅修行ですが、実はたいへん合理的なシステム―人間本来の生活リズム、呼吸法、精神の安定、そして繰り返しますがオープンでフェアーなマネージメント―に裏打ちされているのだなあ、と感じたことがたいへん驚きでありました。 |
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